セレンディピティで人より一歩先の世界へ

こんにちは。

最近「セレンディピティ」という言葉を知ったので記録しておきます。

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何語?→造語

セレンディピティ(serendipity)

広辞苑によると、『思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力。』という意味の言葉だそうです。

わたしはこの言葉を阿刀田高の『ユーモア革命』を読んで知りました。

セレンディピティは18世紀イギリスの文学者であり小説家の、ホーレス・ウォルポールが創った言葉です。
「セレンディブ(セイロン)の三人の王子」という、南アジアに伝わる民話に出てくる王子たちの、ある能力を言い表した言葉のようです。
その能力というのが、『思わぬものを偶然に発見する能力』です。

「セレンディブの三人の王子」とは

「セレンディブの三人の王子」は、セイロン(現スリランカ)の王子三人が旅をする物語。この物語の中でウォルポールが「セレンディピティ」という言葉を作るに至ったエピソードが”The lost camel(消えたラクダ)”というお話です。

この”The lost camel”のあらすじは次の通りです。
三人の王子がラクダを失った商人に出会う。王子らは見たこともないラクダの特徴を事細かに商人に言って見せる。商人はビックリして、そんなに詳しく知っているのはお前たちがラクダを盗んだからだ! と訴える。王子たちは裁判で、どうして自分たちが見たこともないラクダの特徴を言い当てられたのか説明をする。

このラクダというのが、「盲目で、歯がなく、妊婦を運び、一方の側には蜂蜜、もう一方にはバターを運んでいる」ラクダなのです。特徴的なラクダですね。

なぜ三人の王子たちがラクダを実際に見たことがないのに特徴を言い当てられたかというと、「道端の草が片側ばかり食べられているから、目が不自由なんだろう」とか「噛まれている草の残り方が特徴的なので、歯の一部が欠けているんだろう」などと、わずかな手がかりから推理をしたからだそうです。

まるで推理小説です。コナンくんもびっくりの鋭い洞察力ですね。阿刀田高も『ユーモア革命』の中で「このエピソードはむしろ推理小説的(37P)」と述べ、アラン・ポーの『モルグ街の殺人』の名場面を連想してしまうと書いています。

ちなみに「セレンディブの三人の王子」のラクダのエピソードはwikipediaで読めます。(英語)

セレンディピティの意味は複数ある

ウォルポールがセレンディピティという言葉を創った時、彼は語の定義を説明するというよりは、三人の王子のエピソードを紹介して、「ね? この能力がセレンディピティだよ」みたいな紹介の仕方をしたらしいです。なので、セレンディピティという語は後世の人によって複数の解釈がつけられてます。

①今日はなにか良いことがありそうな気がする!

1964年のアメリカ映画『パリで一緒に(Paris When It Sizzles)』では、オードリー・ヘプバーンが演じるガブリエル・シンプソンを食事に誘うために、ウィリアム・ホールデン演じるリチャード・ベンソンがセレンディピティについて説明するシーンがあります。

彼が言うには、セレンディピティとは『毎朝、目を覚まして新しい日に胸をおどらせること』だそうです。

②探している時には出てこないけど、諦めた後でなにかの拍子にばったり見つける

阿刀田高が初めてセレンディピティという語を知った時、その主旨は次のようなものでした。

『昔、セイロンに王子がいて、この王子は年中、捜しものをしていた。しかし、彼は必要なものを捜しているときにはけっして見つけられず、あきらめてしまうと、思いがけないときにそれを見出す。この奇妙な性向を指してホーレス・ウォルポールがセレンディピティという言葉を与えた。(39-40P)』

阿刀田高はこれを例えて『必要な書類をさんざん探し回ったあと、全然別のことをやっている時に見つける』と言っています。

今でいうと、ソシャゲで欲しいキャラが全然引けないのに、別のキャラが欲しくなった時になって以前欲しかったキャラがガチャで引ける、みたいな感じですかね。全然違いそうですね。

研究開発分野で用いられるセレンディピティ

セレンディピティのwikipedia日本語版には「自然科学におけるセレンディピティ」という項目があり、セレンディピティ的に発見された発明が多く挙げられています。

ここでいうセレンディピティは、なにか良いことがありそうな気がする、というワクワク感ではありません。探していた必要なものがあとになってから見つかる、という偶然とも少し違います。

阿刀田高はこのセレンディピティを『目的をおう途中、目的とは別に思いがけないものを発見すること。また、そういう能力(41P)』だと述べています。

棚からぼた餅では決してありません。偶然だけではありません。そこには目的を達成するという不断の努力と知性の働きがあります。そしてその目的の途上で偶然と知性が絡み合い、思いがけない発見をすることを言い表した言葉として、セレンディピティは用いられています。

阿刀田高的セレンディピティ

科学分野におけるセレンディピティとは「なにかを達成するために目的に向かって努力を続けている時に、目的とは別の発見をする能力」だと説明しました。

阿刀田高はこの能力が高い人とそうでない人の差は『一つのことに強い関心を持ちながら、その一方でべつな角度から対象を見る、ということをどれだけやって来たか、身につけているか、そのことに拠っているらしい(42P)』と書いて、同感を覚えると言っています。

なんでも、小説を執筆している時に登場人物が思いもよらぬ行動をして、それが結果的によい情況を作ってくれるということがあるそうです。これを阿刀田高は『まさにセレンディピティだ。(43P)』と述べています。

セレンディピティの能力があると人生が豊かになりそう

何かに集中して取り組んでいる時に、別の視点から物事をとらえることで、目的以外の良いことを発見する。

こんなことが最近あったかどうか考えてみましたが、思い当たりません。「一生懸命部屋の掃除をしていたはずなのに気がつけば漫画を読んでおり、その漫画のすばらしさを再発見した」とかならありますが、これはセレンディピティでもなんでもないでしょう。

けれどこの能力、あるに越したことはありません。あった方がないよりかは断然良いです。セレンディピティって要は、発想転換力を用いて目的とは全然別の成功を導き出すという能力のことです。科学分野以外でも、小説執筆以外でも活かせる能力には違いありません。

おわりに

この記事で多く参考、引用しているのは『ユーモア革命』の「セレンディピティを尋ねて」という章です。

『ユーモア革命』は「ユーモアとは何か、どうすればユーモアが身につくのか」とよく人から聞かれる阿刀田高先生が、ユーモアについてやさしく説こうとした本です。

様々な物語や出来事を挙げながらユーモアやジョーク、ウィットについて述べられおり、勉強になると同時に大変面白い本です。気になった方はぜひ読んでみてください。

わたしは阿刀田高は小学生の時ぶりに読んだのですが、昔読んだ時は「エロい小説だ…!」という衝撃が大きかったため、阿刀田高のユーモアについてはあまり覚えていません。

良い機会だし、またなにか読んでみようかなと思います。

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